BLUE GIANT SUPREME (4)

作品が進化している。

 

作者の石塚真一氏は私の二個年上、ちなみにワンピースの尾田栄一郎氏は私の二個年下である。

同年代の大成功しているプロフェッショナルを2人並べてわざわざ比較することもないし、たった数人のキャラクターを深く掘り下げることを目的にした作品の作者と何百人ものキャラクターをかき分けることを目的とした作品の作者とを並べて語ることにはなんの意味はないのだが、つい年齢を並べて語りたくなったというのが4巻の感想だ。

たぶん、Blue Giantこそが、今、日本で一番売れている漫画であって欲しいと思ったから、つい比較したくなったのだと思う。

 

僕はワンピースも好きだし、尾田氏の表現手法も常に様々な方法を模索している感じはする。尾田氏もいろいろ模索はしているのだが、尾田氏「表現者として進化している」と感じたことはもうかなり前から無い。表現者としての尾田氏が伸び盛りだと感じたのは、×が書かれた腕を皆で空に掲げたシーンが最後かもしれない。

 

一方で、46歳の石塚氏はここに来て明確に表現者として更に進化しているように感じるのだ。

 

大がドイツに来て、SUPREMEになってからも、大に負けないように石塚氏もこれでもかと様々な表現方法を模索してきたように感じたし、だからと言って決してすべての試みが成功しているわけではないようにも感じていた。

ドラムが、チーッチチ チーッチチ チーッチチとリズムを刻むところから始まる曲のように、繊細にそれでいて力強く読者の期待を引っ張りながら続いてきた1〜3巻があり、ついに4巻で、彼が模索してきた表現方法の積み重ねが、まるで4つの楽器が同時に共鳴しながら鳴っているかのように花開いた気がする。ストーリー上もついにメンバーが揃ったこともそう感じる理由かもしれないし、進化したのではなく、ストーリーを際だたせるために、メンバーが揃う瞬間までわざと一気に鳴らさなかったのかもしれない。 

40代半ばの男性が描く作品なのに、ストーリーだけでなく、作者の表現方法の幅がまた瑞々しく次のフェーズに到達したと僕に感じさせる理由はどこから来るのだろう。

まだ二度しか読んでないが何度も読み返しながら探って行こうと思う。私はBlueGiantが10巻で終わることを1巻から決めていたのだと思っているが、このSUPREMEも10巻で終わることを前提とした中での4巻なのであれば4巻を何度も読んでも正解はわからず、10巻まで読めばわかるのかもしれない。

 

自分に過剰に課してしまっていた自分の生き方を、「月が綺麗だったから。」ちょっと変えてみようかなと思う。作中の彼よりちょっと年上の自分の過去にも、そんなことがあったし、月が綺麗だったから生き方を変えてみて良かったなと思う人生を送れてきて良かったと心のそこから思った。

 

もし、何らかの理由で、BLUE GIANTを知らずにこの文章を読んでしまった方が居たら、騙されたと思って(前作にあたる)BLUE GIANTの1巻〜10巻まで一気に読んで欲しい。きっと貴方の人生に変化があるはずだから。